10月, 2009 のアーカイブ

ギニアでの虐殺

Posted in ギニア, メディア with tags , , , , , , , , , on 10月 13, 2009 by Virgil

「コンゴウィーク」まで1週間もないときに、コンゴ民主共和国紛争に対する意識を高めるために全力を注ぐべきかもしれないが、西アフリカのギニアで起こった事件にも言及する必要があると思う。

ギニアは民主主義とあまり縁がなく、独立以降、独裁政権が続いている。2008年に24年間政権を握っていたコンテ大統領が死亡し、その直後にカマラ大尉がクーデタを起こした。それ以降、軍事政権が続いている。カマラは選挙を実施すると宣言しているが、カマラ自身が出馬すると表明した。2009年9月28日に首都コナクリのスタジアムで、この出馬に反対する国民が集会を開いたが、軍が集会に向けて発砲し、157人が死亡、1,200人以上が負傷したとみられている。

さて、日本のメディアがこの「大きな」事件をどう見たのだろうか。9月29日に朝日新聞は夕刊の8ページに101字の記事を載せた。「アフリカ西部ギニアからの報道によると、首都コナクリで28日、軍事政権に反対する市民のデモに治安当局が発砲し、多数の死傷者がでた。AFP通信は、少なくとも87人が死亡したと報じた」と。以上。それ以降の報道はなかった。読売新聞は10月1日の朝刊の7ページに246字の記事(「デモに発砲、157人死亡か/ギニア軍政」)を掲載し、それ以降取り上げることはなかった。一応、一度は載せたものの、関心はないようだ。

アフリカ以外の大陸で、これほどの事件が起こったとき、日本のメディアはここまで無視するのだろうか?他の大陸ならこれほどの沈黙は許されるのだろうか?イラク、アフガニスタン、パキスタンなどでの自爆事件を毎回毎回、大きく掲載し、分析もある。イスラエル・パレスチナでも、一つ一つの事件を丁寧に取り上げる。アメリカの高校での発砲事件でさえ、日本のメディアで注目を浴びる。

なぜ、日本のメディアは堂々とこれほどの事件を無視するのだろうか?報道すべき「世界」の一部としてなかなか認めてもらえないアフリカだから?貧しい国だから?被害者が「黒人」だから?日本の新聞はアフリカをカバーしている記者はそれぞれ一人しか派遣していないから?

実は、ギニアにはアルミニウムの原料であるボーキサイトは大量にあり、世界の埋蔵量の3分の1も占めている。この事実もあり、欧米の政府はこれまでのギニア政府による人権侵害に目をつぶることが少なくなかった。欧米のメディアも自国の政府に合わせるように報道をしたり、沈黙を守ったりしてきた。

日本の場合はどのような理由があるのだろうか?日本の企業もギニアのボーキサイト探査権を獲得しているようだが、これも一つの理由として考えられるのだろうか?それとも、ただの無関心だけで説明がつくのだろうか?

みなさん、日本のメディアはこの程度のものでよいのだろうか?

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「民族紛争」と無関心

Posted in コンゴ民主共和国 with tags , , , , on 10月 13, 2009 by Virgil

Eyes on the Congoからの投稿その4

 大阪大学外国語学部の学生の小林です。自分はスワヒリ語を専攻しています。なぜスワヒリ語を専攻したのかといえば、自分にはアフリカが未だ知らない世界であったからです。勿論、高校の社会の授業を通してザイールにて民族紛争があったということ位の知識はありましたが、大学でアフリカについての授業・セミナーをうけてその知識がいかに表面的であったかを学びました。

 僕たち一般の学生でも、テレビ・新聞で報道されるほどの紛争の知識はあります。でもそれはイラクでありコソボであり、コンゴではありません。なぜ報道されないのでしょうか?

 報道に関する疑問を抱きながら夏休みをむかえました。スワヒリ語の学生には宿題が出されました。それはアフリカの歴史について英語で書かれた資料を日本語に直してレジュメを作るものでした。その中で非常に悩ましかったのは英語で表記されている人々を日本語に直すときに、それが「~~族」なのか「~~人」なのか判らないことです。日本語のアフリカに関する資料は限られていて、資料を見つけられない限り自分で判断するしかないのです。そうなったとき、自分のなかでのイメージは「~~人」ではなく、「~~族」でした。自分でそう判断したのは、考えうる限りでは彼らが嘗て遊牧民であった・ということです。つまり自分のなかで、遊牧生活は近代的な生活ではなく、近代的な生活を営む者は「~~人」であり、それ以外は「~~族」というイメージがあるのだと思います。

 コンゴ民主共和国での紛争で540万人もの死者が出た理由の一つにはいわゆるフツ族とツチ族との民族対立があります。もしかしたら日本人にとって、この紛争もアフリカの近代化していない部族・民族たちの争いでしかないのではないでしょうか。そうでないと分っていても「アフリカの」というイメージが「現代人の僕たち・私たちとは別物」という考えを与え、日本人の興味から外れているのではないでしょうか。

 報道各社にとっても、「テロ」ではなく、日常的に人が殺され・難民がでる現状をスクープとして取り上げられないのかもしれません。そこに我々の興味がむいていないのだから。

 以前大学で行われたコンゴの紛争に関してのトークショウで、コンゴ民主共和国の人が「なぜ紛争ばかり取り上げ、近代化して平和な部分もあるコンゴ民主共和国を取り上げないのか。」と声を上げる場面がありました。勿論、フツ族・ツチ族ともに、自動車に乗って通勤し、都市で働く人たちもいます。その人の怒りは「後進的な国民が紛争している」としか受け取られていないと思った故の怒りだったと、自分には思えました。

 自分のなかにある「発展途上の」という差別意識、それによる相手への無理解・無関心がコンゴ民主共和国の紛争を気づかせにくくしている原因だと思います。どんな些細なことでもいい。いろんなアフリカを見つめる積極的な意識が必要だと思います。

病死と医療体制とコンゴ民の紛争

Posted in コンゴ民主共和国 with tags , , , , , , on 10月 13, 2009 by Virgil

Eyes on the Congoからの投稿その3

今年医学部に入学し、医者への道を一歩前進しました。

そんな中、今回、私がコンゴ民主共和国とその周辺を巻き込んだ紛争に興味を示すようになったきっかけは、大学で行われた授業の中でのことでした。

はじめは、そもそもどういった経緯でそこまで大きく発展していったのかという事実及び情報に対しての関心を持った上で、知っておきたいという思いでした。

その過程で、一つの事実にたどり着きました。それは、ここまで死者数が増えた原因は、単に戦闘が長く続いているというだけではなくて、感染症などによっても大量に死者が出ているというものです。

はじめこそ戦闘での死者が全体の11%と多数出たものの、現在では戦闘での死者が0.4%となったことにも見られるように、戦闘規模が小さくなっているにもかかわらず、死者が増え続ける原因はやはり病気が主たる原因であると考えられます。しかし、その病気どれもがまったく治療手段のないものというわけではありません。

ではなぜ、治療ができないのか。その原因は、戦闘などによる国内の政治的・経済的混乱により、十分な医療・安全な食料・インフラ設備が提供できずにいるのです。逆に言えば、それらを安全に提供でき、国民が安心して利用できる環境が整えば、死者数は圧倒的に少なくなるはずなのです。

医療の提供については、実際の治療に加え、予防のためのワクチンも必要になってきます。国内の崩壊した医療体制では追いつくはずもなく、国際医療班(「国境なき医師団」など)が実際に現地に向かい、活動することが必要となります。そのためにはもちろん資金が必要になってくるわけです。しかし、メディアに載らない・人々がコンゴ民主共和国の現状を知らない以上、十分な資金が届くとは考えられません。

さらには、外部から手を入れてその場限りの治療をするのだけでは、一時的には状況が良くなっても継続的にはいかない恐れがあります。そのためにも、国内の医療体制を立て直し、より良い治療法を伝えていくことが大切です。同じ資金を出すにしても、「資金は出すから後は何とかしてくれ」という姿勢では何も良くなりません。また、国として安定していないところに資金だけ投入しても、何に使われるのかわかったものではない(武器の購入など)というのも肯ける意見ではないかと思います。

医療体制の崩壊は、戦闘を経験した場所であれば必ずといっていいほど直面する現実です。これ以上の死者の異常な増加を止めるためには、国内の医療の充実が求められているのです。

ステルス紛争の悲劇というのは、私たちの目に付かないからこそ、その死者数は大きく膨らんでいく一方なのです。この悪い流れを断ち切るためにはまず、私たちが知ることが必要なのです。

コンゴウィーク2009 イベント紹介

Posted in コンゴ民主共和国 with tags , , , , , , , on 10月 4, 2009 by Virgil

コンゴ・ウィーク2010年のイベント紹介はこちら

世界36ヶ国参加!!コンゴに目を向ける世界的運動であるコンゴウィーク(2009/10/18~24)。大阪大学では3つのイベントを開催します。

~もっと知ろう~

【1】コンゴセミナー:「平和以外なんでもあるコンゴ~天然資源紛争の裏に~」

●日時

2009年10月19日(月)16:20-17:50

 ●場所

大阪大学 豊中キャンパス 21世紀懐徳堂 スタジオ

 ●講師

米川正子/JICA国際協力機構アフリカ部客員専門員(平和構築)

 ●主催

グローバルコラボレーションセンター(GLOCOL)

 ●協力

大阪大学21世紀懐徳堂

Eyes on the Congo

【2】ドキュメンタリー上映会+ミニワークショップ:目を逸らさずにコンゴの現状を見てください。

●日時

2009年10月21日(水)9:00-18:00

2009年10月23日(金)9:00-18:00

(出入り自由)

 ●場所

大阪大学 豊中キャンパス 21世紀懐徳堂 ギャラリー

 ●主催

グローバルコラボレーションセンター(GLOCOL)

Eyes on the Congo

 ●協力

大阪大学21世紀懐徳堂

~行動につなげよう~

【3】署名運動:私たちと一緒に政府やメディアにこの疑問を投げかけませんか?

●日時

2009年10月21日(水)9:00-18:00

2009年10月23日(金)9:00-18:00

(出入り自由)

 ●場所

大阪大学 豊中キャンパス 21世紀懐徳堂 ギャラリー

 ●主催

Eyes on the Congo

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質問等ある方はこちらにご連絡ください↓↓

eyes_on_the_congo@hotmail.co.jp

日本の「島国意識」と「普遍的人権」

Posted in コンゴ民主共和国, メディア with tags , , , , , on 10月 3, 2009 by Virgil

Eyes on the Congoからの投稿その2

はじめまして、こんにちは。大阪大学外国語学部日本語専攻1回生の鉾久 真大と申します。

最近iPod touchを購入し、気軽にThe New York TimesやAP通信の記事を読むことが出来るようになりました。これらの記事を読んでいると、日本のメディアが伝えている情報がいかに限られているか、考えざるを得ませんでした。

NY TimesとAP通信を読みはじめて、まず驚いたのは、国際的なニュースを大きく扱っていることでした。iPod touch版NY Timesのカテゴリーでは、「WORLD」が真っ先にきています。

それに比べて日本の新聞では国際面は大体1ページ。ニュースを見ても、日本と無関係な事件や事故、災害などはさらりと流される程度で、NY Times、AP通信を読んで、初めて存在を知ったニュースは数知れません。

こんな話を友人としていると、そこに日本人の所謂「島国意識」が働いているのではないか、という意見がでました。

「日本を客観的に見てみたい」という理由で“外国語”学部の“日本語”専攻を選んだこともあり、この「島国意識」というものにもすごく興味を覚えました。

ご存知の通り、日本は四方を海に囲まれた国であるので(大陸内に国土を持っていた時代もありますが…)、陸続きの国境を持つ国と比べると、人や文化の行き来は難しいものであると思います。奈良時代の渡来僧、鑑真が来日を果たすまでに5度失敗し、失明までしたという有名な話はこのことを象徴するものだと思います(勿論、現在はこんな状態ではありませんが)。

また、江戸時代に鎖国政策を行っていたこと、そして国土を侵略された経験がほとんどないこと、これらが日本が「国内」と「国外」とを明確に区別して考えるようになった大きな要因ではないか、と思います。

この「日本は特別」という「島国意識」とでも言えるものが、報道における海外への無関心や、難民受け入れの消極性などに繋がっていると思います。

こういった問題を考えるときに決まって思い出すのは、オーストラリア国立大学のガバン・マコーマック教授が「テロ、悪、北朝鮮」『論座』2003年4月号に寄せていた拉致問題に関するコメントです。

「1977年から83年にかけての、13人の日本人拉致と90年代のスパイ船事件は間違いなく重大なものですが、一世代前の日本の行為とはスケールの点でとても比較にならないほど軽い。…自国のテロはゆっくりとしか思い出さず、またすぐ忘れてしまう、あるいは過小にしか思い出さない日本が北朝鮮のテロに大騒ぎする身勝手さが、朝鮮の南にも北にも鼻持ちならない態度に映ります。普遍的人権という枠でなく、日本のものさしの中でしか事を見ない日本の、北への憤怒は世界に通用しません。」

最後の一文が非常に胸に刺さりました。

「普遍的人権」

この意識が薄いのではないでしょうか?

命の重さは国籍など関係なく、みな同じであるべきなのに、実際は日本人の被害者が出たときだけ大きく報道し、そうでなければ対岸の火事と済ませてしまう。

今回私たちが取り組んでいるコンゴ民主共和国での紛争も、普遍的人権の観点から言えば、とても無視できるものじゃありません。

これからどんどんグローバル化が進んでいく中で、所謂先進国である日本が、「鎖国」政策をとるわけにはいきません。

国外で起こっていることを他人事だと考えず、自分と同じ人間に起こっているものと、もっと目を向ける必要があると思います。

どうか、コンゴに、そして世界中の不条理に、目を向けて下さい。

このエントリーをご覧頂き、ありがとうございました。少しでも多くの人の視野拡大に繋がれば幸いです。

鉾久 真大

Congo Weekに懸ける思い

Posted in コンゴ民主共和国 with tags , , , , , on 10月 2, 2009 by Virgil

Eyes on the Congoからの投稿その1

私は、現在大阪大学グローバルコラボレーションセンター(GLOCOL)で勤務しているが、2005年から2006年の1年間イギリスの大学で国際関係学を学んだ。主にアメリカの外交が世界に与える影響力に関して研究した。一般的に、アメリカの外交の型は4つに大別されると言われている。1.ハミルトニアン:他国との経済的協力を強化がアメリカの国益を増し、国際社会も安定する。2.ウイルソニアン:アメリカは、国際社会に関して倫理的責任を負っているから、アメリカの価値観を世界中に広めるべきだ。3.ジェファソニアン:アメリカは自国内で完結できる国家であるから、他国に干渉すべきでない。4.ジャクソニアン:自国の利益を何よりも優先させるべきで、他国と深く関わりは持たない方が良い。が、戦争を仕掛けられたら最後、勝利意外は考えない。留学中は、この4つの型をアメリカが紛争へ介入した歴史、もしくはイラク戦争など現在の介入をも読み解くのに利用し、当てはめては議論を繰り返した。イラク、ボスニア、パレスチナ、北アイルランド等々。しかし、コンゴ民主共和国(DRC)が議題に上ることはとうとう無かった。

GLOCOLの助教である、Hawkins先生から、「ステルス紛争」というキーワードを教わった。そして私は疑問に思い始めた。上記のような明確な区別で国際関係を論じることに、またアメリカもしくは先進国という国々が持ちうる、いわゆる発展途上国に対する「まなざし」そのものに。「Eye on the Congo」に参加するきっかけとなったのは、卓上の理論でコンゴを語るのではなく、実践でリアルにコンゴの惨状を理解、解決するために行動を起こすべきだと考えたからだ。

最新の報告によると、冷戦終結以来、コンゴ民主共和国(DRC)では540万人以上が、紛争が原因で亡くなっている。それに比べて、日本でも比較的知られているパレスチナとイスラエルの紛争では死亡者数は8千人にとどまっている。[1]また、歴史を振り替えれば、第二次世界大戦での日本人の死亡者数は諸説があるが、310万人といわれている。現在、多くの日本人は、約2~3世代前までさかのぼれば、死亡や行方不明、負傷等戦争で被害を被った肉親がいる確立がかなりあると予想される。しかし、コンゴで今起こっていることは、それ以上の死亡者数を出し、歴史ではなく現状でありながら、国際社会から高い関心を得ることはないままだ。コンゴで産出されているレアメタルは、私たちの生活に深く入り込んでいる可能性が高いにもかかわらずだ。

民主党政権となったアメリカ政府は、遅まきながら、今年8月クリントン国務長官をコンゴ東部に送り込み、コンゴ中央政府カビラ政権へ1千7百万ドルもの支援を決定した。このアメリカからの支援は、アメリカ合衆国自身が体感した「Change」をコンゴで引き起こす機運となるのだろうか。崩壊国家であるコンゴの見せ掛けだけもしくは、紛争の要因でもある中央政府に支援をすること自体に批判の声も挙がっているが、少なくとも今まで以上に「コンゴ」をメディアで目にするきっかけとはなった。コンゴに対する有効な支援のために、国益を計算しながらの国というマスな目線ではなく、コンゴの現状を見据え、問題を把握した上で支援する必要がある。コンゴを支援団体、NGO “Friends of the Congo”のアドバイザーを務めるアリ・M・マラウ氏は、「今のコンゴの崩壊は前例がないレベルに達している。そうした現実を認めない議論は、知性を疑うほかない」と語っている。[2]2000年から2004年の4年間だけで、400万人が紛争で死亡し、誤解を恐れずに言えば、「ただ、死亡している」のは、紛争の一部分であり、インフラは破壊され、反政府軍、政府軍を問わず兵士らによる一般市民への略奪やレイプが横行している。[3]このコンゴの人々の異常を世界に向け発信しようと、私たち「Eyes on the Congo」は、10月18日~24日のコンゴウィークに向けて、始動している。

 


[1] Accessed 21 September, 2009. http://www.glocol.osaka-u.ac.jp/research/090417sasshi.pdf 

[2] Accessed 21 September, 2009.  http://newsweekjapan.jp/stories/world/2009/08/post-433.php

[3] Accessed 21 September, 2009. http://www.foreignpolicy.com/story/cms.php?story_id=4763 

Eyes on the Congoについて

Posted in コンゴ民主共和国 with tags , , , , , on 10月 2, 2009 by Virgil

2008年に、大学の授業で紛争に関する講義をする前にある質問調査を行った。151人の受講生(1年生)に「冷戦後(1989年以降)、最も死亡者数が多い武力紛争はどこでおきていますか?」という質問に対して答えを書いてもらった。正解はコンゴ民主共和国(死者数は540万人で、2位である南部スーダン紛争の約4倍)だったが、151人中、この紛争をあげた受講生は一人もいなかった。

学生は世界で何が起きているのかに対して関心がないというとらえ方ができるかもしれないが、それより、学生が与えられている(またはアクセスできる)情報のほうに問題があると思う。学生は世界の紛争のことをまったく知らなかったわけではない。新聞やニュースで頻繁に報道されてきたイラク(死者数100万人以上?)、コソボ(死者数1万人)、イスラエル・パレスチナ(死者数8千人)の紛争は答えのトップ3を占めていた。「選ばれた紛争」に関する情報はインプットされていた。

しかし、世界情勢を知る機会さえあれば、さまざまなレベルで関心をもつようになる学生がたくさんいる。そして嬉しいことに、世界最大紛争のコンゴ民主共和国に強い関心を持つようになった大阪大学の学生に出会うことができた。この学生たちは「Eyes on the Congo」というサークルを結成し、まず大学内からコンゴ民主共和国に人々の目を向けさせる運動を企画することにしている。特に、世界的運動であるコンゴウィーク(10月18~24日)に合わせて様々な活動を実施する予定をしている。

大阪大学のグローバルコラボレーションセンター(GLOCOL)が企画しているセミナー(10月19日:東コンゴのゴマでUNHCRの事務所所長として活躍していた米川正子氏の発表が予定されている)と連動し、コンゴ民主共和国に関するドキュメンタリーの上映会やミニワークショップ(10月21・23日)を企画している。コンゴウィークが終わった後も、これからどのような活動をしていくのか楽しみにしている。

そのうちに、Eyes on the Congo独自のブログはできるかもしれないが、その前にまず、このブログの場を借りて、Eyes on the Congoのメンバーからの声を聞くことにした。というわけで、しばらくのあいだ、「ステルス紛争」はリレーブログという形になる。メンバー1人1人からの投稿をぜひ読んでみてください。

(ちなみに、Eyes on the Congoは現在、メンバー募集中とのこと。お問い合わせは eyes_on_the_congo@hotmail.co.jp  まで。)

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