「民族紛争」と無関心

Eyes on the Congoからの投稿その4

 大阪大学外国語学部の学生の小林です。自分はスワヒリ語を専攻しています。なぜスワヒリ語を専攻したのかといえば、自分にはアフリカが未だ知らない世界であったからです。勿論、高校の社会の授業を通してザイールにて民族紛争があったということ位の知識はありましたが、大学でアフリカについての授業・セミナーをうけてその知識がいかに表面的であったかを学びました。

 僕たち一般の学生でも、テレビ・新聞で報道されるほどの紛争の知識はあります。でもそれはイラクでありコソボであり、コンゴではありません。なぜ報道されないのでしょうか?

 報道に関する疑問を抱きながら夏休みをむかえました。スワヒリ語の学生には宿題が出されました。それはアフリカの歴史について英語で書かれた資料を日本語に直してレジュメを作るものでした。その中で非常に悩ましかったのは英語で表記されている人々を日本語に直すときに、それが「~~族」なのか「~~人」なのか判らないことです。日本語のアフリカに関する資料は限られていて、資料を見つけられない限り自分で判断するしかないのです。そうなったとき、自分のなかでのイメージは「~~人」ではなく、「~~族」でした。自分でそう判断したのは、考えうる限りでは彼らが嘗て遊牧民であった・ということです。つまり自分のなかで、遊牧生活は近代的な生活ではなく、近代的な生活を営む者は「~~人」であり、それ以外は「~~族」というイメージがあるのだと思います。

 コンゴ民主共和国での紛争で540万人もの死者が出た理由の一つにはいわゆるフツ族とツチ族との民族対立があります。もしかしたら日本人にとって、この紛争もアフリカの近代化していない部族・民族たちの争いでしかないのではないでしょうか。そうでないと分っていても「アフリカの」というイメージが「現代人の僕たち・私たちとは別物」という考えを与え、日本人の興味から外れているのではないでしょうか。

 報道各社にとっても、「テロ」ではなく、日常的に人が殺され・難民がでる現状をスクープとして取り上げられないのかもしれません。そこに我々の興味がむいていないのだから。

 以前大学で行われたコンゴの紛争に関してのトークショウで、コンゴ民主共和国の人が「なぜ紛争ばかり取り上げ、近代化して平和な部分もあるコンゴ民主共和国を取り上げないのか。」と声を上げる場面がありました。勿論、フツ族・ツチ族ともに、自動車に乗って通勤し、都市で働く人たちもいます。その人の怒りは「後進的な国民が紛争している」としか受け取られていないと思った故の怒りだったと、自分には思えました。

 自分のなかにある「発展途上の」という差別意識、それによる相手への無理解・無関心がコンゴ民主共和国の紛争を気づかせにくくしている原因だと思います。どんな些細なことでもいい。いろんなアフリカを見つめる積極的な意識が必要だと思います。

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