和平 のアーカイブ

安定しないコンゴ民主共和国

Posted in 「アフリカも世界の一部」, コンゴ民主共和国 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , on 9月 6, 2011 by Virgil

「アフリカも世界の一部」第44号 

201111月、コンゴ民主共和国DRC)で大統領選挙が予定されている。しかし、実施に必要なDRC政府の予算も、先進国ドナーからの援助も大きく不足しており、準備が遅れている。有権者登録が済んだものの、独立機関による確認が行われていない。野党が不正を訴え、91日には首都キンシャサで数百人によるデモが発生した。現在も、選挙を延期するべきか、不正の懸念を持ちながらも予定通り強行するべきか、DRC国内外で議論されている。

冷戦後、世界最多の死者数を出しているDRCの紛争はまだ終わっていない。DRCに侵攻し占領していたルワンダウガンダ2003年までに撤収し、表向きには、国際紛争は終息した。包括的な和平合意が結ばれ、2006年に歴史的な選挙も行われた。ルワンダが支援し続けていた大型反政府勢力も2009年に政府と和平合意を結び、兵士は国軍に取り込まれることになった。

しかし、紛争は部分的に続いている。東部ではいくつかの武装勢力が軍事活動を続行しており、DRCの国軍はいまだに制圧できていない。また、多くの人権侵害の加害者が給料も訓練も十分に受けていない国軍の兵士であり、国軍でありながらも一般市民にとって脅威となることも少なくない。さらに、和平合意を結び、国軍に「統合」された元武装勢力も、制服を着替えたものの、もともとの形をそれほど崩しておらず、部隊の解体やDRC国内の他の地域への移転を拒んでいる。

また、様々な形で紛争が20年近く続いてきたため、警察、司法制度の機能が極めて弱く、治安が大きな問題として残っている。安定しないDRCの東部では暴力事件、殺人事件、レイプが多発している。そして少なくとも170万人の国内避難民は家に帰ることができていない。

紛争を長引かせたひとつの要因として、日本の電子産業にも欠かせない鉱物資源が挙げられている。昨年発表された国連の報告によると、東部にあるほとんどの鉱山は国軍を含む武装勢力にコントロールされている。このような紛争と関連した鉱物資源の規制につながる法律がすでにアメリカで採択されている。その結果、企業は使用している資源が紛争と無関係であることを証明する義務を負うようになる。アメリカ及びアメリカの市場を対象にする世界の多くの企業がすでにDRCからの鉱物資源を避け始め、DRCからのスズ、金、タンタルなどの輸出が激減している。

日本のメディアはなぜこのような情勢を無視するのだろうか。読売新聞は2011年に入ってから、DRC情勢に関する記事をひとつも掲載していない。せめてDRCの安定に大きく影響する今年の選挙、そして日本の電子産業にも影響を及ぼす鉱物資源問題に関する報道があってもよいのではないだろうか。アフリカも世界の一部だ。

以下の文書のような形で、読売新聞にこの状況を伝え、報道を求めよう。

このリンクから直接投稿してください。

(もちろん、自分自身のメッセージを書いていただくのが望ましいのだが、以下の文書をコピーしてリンク先に張り付けるのも可能)。

「今年実施されるコンゴ民主共和国の大統領選挙の準備が遅れ、不正を訴える野党によるデモが発生しています。日本の電子産業も関連している鉱物資源問題も世界で注目を浴びています。にもかかわらず、読売新聞は2011年に入ってからコンゴ民主共和国の情勢を一度も報道していないのはなぜでしょうか。アフリカも世界の一部です。」

英語になりますが、以下のサイトを参照に:

 選挙準備をめぐるデモに関する記事

 DRC紛争と武装勢力に関する分析

 DRC紛争、選挙、鉱物資源に関する分析

 10月に行われる国際イベント「コンゴウィーク」に関する情報

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中央アフリカ共和国で停戦合意

Posted in 「アフリカも世界の一部」, 中央アフリカ共和国 with tags , , , , , , , , , , , , , , , on 6月 22, 2011 by Virgil

「アフリカも世界の一部」第40号 

612日、中央アフリカ共和国の北部の町で、政府と最大の反政府勢力が停戦合意に署名をした。近い将来、和平合意を結ぶ予定だと政府の関係者が話した。これまでにも、いくつかの反政府勢力グループは政府と和平合意を結んでおり、今回停戦合意に署名した「正義と平和愛国者会議(CPJP: Convention of Patriots for Justice and Peace)」は最後に残っている大型反政府勢力である。

中央アフリカ共和国の歴史には多くのクーデターが刻まれている。一時期、国連PKOの派遣もあったが、すでに撤退し、現在も政治的に不安定な状況が続く。ボジゼ現大統領は2003年、クーデターを通じて権力を手に入れたが、その後2005年の選挙で当選し、2011年に再選を果たしている。

また、5ヶ国に囲まれている内陸の中央アフリカ共和国は、周辺の国々の紛争から大きな影響を受けてきた。20023年、コンゴ民主共和国の反政府勢力(「コンゴ解放運動」:MLC)が中央アフリカ共和国の前政権を守るため、当時のパタセ大統領に招かれ、現地の反政府勢力と戦った経緯がある。MLCのベンバ元指揮者(後のコンゴ民主共和国の副大統領)はこのときに生じた犯罪をめぐり逮捕され、国際刑事裁判所に引き渡された。

また、2004年以降、西スーダンのダルフール紛争及びチャドの紛争も中央アフリカ共和国にこぼれ、同国の不安定な状況に大きく貢献している。さらに、周辺数ヶ国で逃亡しながらも、多くの被害をもたらしているウガンダ出身の武装勢力「神の抵抗軍:LRA」も中央アフリカ共和国で活動をしており、悩ましい存在である。

今回の停戦合意は、和平に向けた大きな一歩であると評価されている一方、平和の実現はまだ遠いものだという声もあがっている。長年の紛争と不安定で治安が悪化し、現在も、国軍が実際コントロールできているのは国土の3分の1に過ぎないともいわれている。

日本のメディアは中央アフリカ共和国をと取り上げることは殆どない。朝日新聞のウェブサイト内の検索をかけても、該当する記事がでない。また、読売新聞は10年以上、この国の情勢に関する記事を記載していない。無視されるアフリカの国々の中でも、存在すら殆ど現れない国となってしまっている。このままでよいのだろうか。アフリカも世界の一部だ。

以下の文書のような形で、朝日新聞にこの状況を伝え、報道を求めよう。

このリンクから直接投稿してください。

(もちろん、自分自身のメッセージを書いていただくのが望ましいのだが、以下の文書をコピーしてリンク先に張り付けるのも可能)。

612日、中央アフリカ共和国政府と最大の反政府勢力との間で停戦合意が結ばれました。コンゴ民主共和国、及びスーダンの紛争からも大きな影響を受け、不安定な歴史を持つ国です。時には、中央アフリカ共和国に関する記事を掲載してもよいのではないでしょうか。アフリカも世界の一部です。」

英語になりますが、以下のサイトを参照に:

 中央アフリカ共和国の停戦に関する記事

 中央アフリカ共和国における人権侵害に関する記事

 中央アフリカ共和国の概要

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ブルンジ紛争再発?

Posted in 「アフリカも世界の一部」, ブルンジ, 報道量, 大湖地域 with tags , , , , , , , , , , , on 9月 28, 2010 by Virgil

 「アフリカも世界の一部」第11

今年7月、ブルンジで大統領選挙が行われ、現職のヌクルンジザ大統領が再選された。しかし不正を訴えていた野党が選挙をボイコットした為、ヌクルンジザは唯一の候補者であった。与党と野党の間で対立が続き、現在、ほとんどの野党は議会を含む政治機関への参加を取りやめている。

大統領選挙前から、何人かの野党政治家が逮捕され、又、少なくとも3人は亡命している。逆に、与党事務所付近などでの手榴弾爆破事件も多発している。そして先週、首都ブジュンブラ近くの川で14人の遺体が発見された。紛争が続く隣国コンゴ民主共和国より遺体が流れてきたという説があったが、何人かの遺体から身分証明書が発見され、ブルンジの警察官や軍人が含まれていたことがわかった。ブルンジ政府は犯罪組織の仕業だと発表しているが、不満を持った野党が反政府勢力を組織化し、ブルンジ紛争が再発したことを意味するのではないかという声もある。 

ブルンジはルワンダの隣国であり、歴史的にルワンダとよく似ている。ルワンダと同じように人口密度の高い小さな国で、もともとは王国として統治されていたが、19世紀以降、ドイツ、のちにベルギーの植民地となった。人口の過半数を占める「フツ系」住民と少数派「ツチ系」住民との間の激しい権力争いが長年続いてきた。1962年の独立以来、ツチ系にコントロールされた政権が続いたが、1993年に初めての民主的な選挙が行われ、初のフツ系大統領が選ばれた。ところが、その直後にその大統領が暗殺され、これを機に紛争が勃発した。大規模の虐殺で30万人が殺されたが、ルワンダのように注目を浴びることはなかった。

和平プロセスはゆっくり進んだ。2000年に主要な反政府勢力と和平合意ができ、2001年に暫定政府が成立した。2005年にはもと反政府勢力(民主防衛勢力、FDD)のリーダーであったヌクルンジザ氏が選挙で当選、大統領となった。もう一つの反政府勢力(国民解放勢力FNL)が軍事活動を続けたが、2009年にようやく和平合意が成立し、反政府勢力から野党へと生まれ変わった。ブルンジ紛争はここで正式に終結した。

政治的な不安定が続くブルンジであるが、決してブルンジだけの問題ではない。ルワンダでの虐殺はブルンジでの虐殺の半年後に起きており、大きく関連している。また、ブルンジは、ルワンダやウガンダと同じように、コンゴ民主共和国の紛争にも介入した。ルワンダと国連の外交騒動の原因である「コンゴ民主共和国の紛争に関する報告書」にはブルンジの国軍及び反政府勢力による残虐行為も含まれている。ブルンジ政府は関与を否定し、報告書からブルンジに関する記述の削除を求めている。

日本のメディアにブルンジのことが報道されることはほとんどない。今年の大統領選挙が行われた事実を伝える130文字の記事は掲載されたが、ブルンジ情勢に関する記事としては5年ぶりである。2005年の前回の大統領選挙を伝える記事は100文字であった。ブルンジの紛争、和平プロセス、政治情勢が完全に無視されてきたのはなぜだろうか。アフリカも世界の一部だ。

以下の文書のような形で、読売新聞にこの状況を伝え、報道を求めよう。

このリンクから直接投稿してください。

(もちろん、自分自身のメッセージを書いていただくのが望ましいのだが、以下の文書をコピーしてリンク先に張り付けるのも可能)。

「ブルンジの武力紛争は少なくとも30万人の犠牲者を出し、2009年にようやく終結を迎えました。ところが、野党がボイコットした今年の大統領選挙から政治の不安定が続き、紛争が再発する可能性もあります。ブルンジ情勢を含めて、大湖地域情勢を報道してください。」

英語になりますが、以下のサイトを参照に:

 ブルンジの歴史タイムライン

 今年の大統領選挙に関するニュース(映像)

 ブルンジ情勢の分析

※  コンゴ民主共和国の紛争への意識を高めるためのグローバル運動「コンゴ・ウィーク」が、今年は10月17~23日に世界各地で開催されます。日本でも、大阪大学を中心にいくつかのイベントを予定しています。詳細はこれからお知らせしますが、関心のある方はご一報をお願いします。

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