日本 のアーカイブ

西サハラ問題

Posted in 「アフリカも世界の一部」, メディア, モロッコ, 西サハラ, 資源 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 11月 30, 2010 by Virgil

「アフリカも世界の一部」第20 

現在、西サハラ(サハラ・アラブ民主共和国)領土の3分の2は隣国のモロッコに占領されている。今年11月、国連の仲介のもと、西サハラの将来をめぐる協議が行われたが、その前日には、西サハラ住民とモロッコの治安部隊が激しくぶつかった。住民は悪化している経済状況に抗議をするため「首都」ラアユーン付近に「抗議キャンプ」を設営したが、モロッコはこのキャンプの強制解体に踏み切ったのである。少なくとも11人が死亡した。

1975年、スペインの植民地であった西サハラが独立をしたが、植民地時代以前は自国の領土だと主張したモロッコとモーリタニアは、西サハラに侵略し占領した。この占領に抵抗する武装組織、ポリサリオ戦線ができ、軍事闘争を続けた。ポリサリオ戦線はモーリタニアに対して軍事勝利をしたため、モーリタニアは和平協定を結び、撤退した。しかし、モーリタニアが放棄した領域をモロッコが直ちに占領した。

西サハラの多くの住民はアルジェリアに逃亡し、砂漠の中の難民キャンプに暮らしている。亡命政権もアルジェリアで樹立した。1982年、西サハラはアフリカ統一機構(OAU、現アフリカ連合:AU)に加盟したため、モロッコは脱退に追い込まれ、現在もアフリカ連合の加盟国になっていない。モロッコが占領している領域をポリサリオ戦線から守るため、2500キロにも及ぶ巨大な「砂の壁」を作り、その周りに地雷などを埋めた。これは世界一長い地雷原だと見られている。アメリカ、フランスなどは現在もモロッコの同盟国である。

1991年、国連の仲介で停戦が成立し、西サハラがモロッコ領となるのか、独立国家となるのか、住民投票で決めることになった。ところが、この投票に参加できる「住民」めぐり合意がとれないため、実施されないままである。ポリサリオ戦線はモロッコ占領前の住民のみを登録するべきだと主張しているが、占領後に多くの人を西サハラに移住させたモロッコはこれを拒否している。

モロッコが占領している領域は海岸があり、リン酸塩鉱山も含まれている。2006年、欧州連合(EU)はモロッコと締結した漁業協定には、占領されている西サハラの水域も含まれており、ヨーロッパでは問題視されている。実は、日本が輸入している冷凍タコの7割はモロッコから来ている。当然、占領されている西サハラの水域からのタコもこの中には含まれているはずだが、店頭に並んでいるタコには「モロッコ産」としか表記されていない。

西サハラ問題に関する報道がない日本では、占領・漁業などの現状は問題視されず、議論の対象にもなっていない。例えば、読売新聞は2006年以降、西サハラに関する記事を掲載していない。西サハラの行方に関する次回の協議は12月に行われる予定である。この大きな問題を取り上げるべきではないだろうか。アフリカも世界の一部だ。 

以下の文書のような形で、読売新聞にこの状況を伝え、報道を求めよう。

このリンクから直接投稿してください。なぜ読売新聞?

(もちろん、自分自身のメッセージを書いていただくのが望ましいのだが、以下の文書をコピーしてリンク先に張り付けるのも可能)。

「日本が輸入している冷凍タコの7割はモロッコから来ていますが、モロッコが占領している西サハラの水域からのものも含まれています。西サハラが独立するかどうかは現在も議論されていますが、読売新聞は2006年以降、この問題について一度も報道していません。11月、西サハラ住民とモロッコ治安部隊が衝突する事件も発生しています。西サハラ問題をもっと報道するべきではないでしょうか。アフリカも世界の一部です。」

西サハラ問題に関するウエブサイト(日本語)

英語になりますが、以下のサイトを参照に:

 西サハラ問題のまとめ

 「抗議キャンプ」衝突に関する記事

 EUと西サハラの漁業問題に関する記事

イベント紹介:「独立を問う南部スーダン:住民投票のゆくえと人道支援」(12月18日アット東京。詳しくはリンクからアクセス)

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平和に向かう?コートジボワール

Posted in 「アフリカも世界の一部」, コートジボワール, 選挙, 報道量 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 11月 2, 2010 by Virgil

「アフリカも世界の一部」第16 

10月31日、西アフリカのコートジボワールで選挙が行われた。紛争と政治的な不安定が原因で2005年から延期が続いたこの選挙は、安定した平和に向けた大きな一歩だと考えられている。

1960年にフランスから独立したコートジボワールは長年、西アフリカにおける平和と経済成長のオアシスであった。独立から33年間コートジボワールを支配したウフエ・ボワニ初代大統領は隣国のブルキナファソなどから多くの外国人労働者を受け入れ、チョコレートの原料であるカカオやコーヒーの産業が大きく伸びた。1979年以降、コートジボワールは世界一のカカオ生産国となり、現在、その生産量は世界の約4割を占める。

ところが、1993年にウフエ・ボワニ大統領が亡くなり、政治的権力が集中する南部と移民出身が多い北部との間で対立が表面化してきた。1995年の大統領選挙で有力候補であった、北部出身のウアッタラ元首相は新憲法により立候補資格(両親がコートジボワール出身であることが条件)を失い、さらに緊迫感が高まった。

1999年にクーデターが起こったが、その後選挙が行われ、バグボ政権が生まれた。2002年に反政府勢力ができ、武力紛争が始まった。フランス軍の介入もあり、反政府勢力は政権を倒すことこそ出来なかったが、北部を占領し、カカオ生産の利益は軍事活動と統治を支えた。2007年、NGOグローバルウィットネスは「ホットチョコレート」という報告書で紛争とカカオの関係を暴いた。

2005年以降、和平プロセスは少しずつ進み、2007年、ついに和平合意及び権力分割協定が成立した。ところが2005年に予定されていた大統領選挙は、政治的不安定が続く中、数回延期された。南部の政治家が中心となり、北部の多くの人に対して市民権・選挙権を持つべきかどうか、疑問を投げかけたことがひとつの大きな原因である。

今回の選挙も実際行われるかどうか、直前まで明らかではなかったが31日、無事投票が開始された。ウアッタラ氏が立候補することが認められ、ベディエ元大統領(1993~99年)、バグボ現大統領と合わせ3者が有力候補者だと見られている。しかし、票の過半数を勝ち取ることが難しく、第2ラウンドに持ち込まれる可能性が高い。

日本のメディアはコートジボワールを基本的にワールドカップに参加したサッカーチームとしてしか扱っていない。政治情勢、紛争とカカオとの関係、和平プロセスなどはほぼ無視してきた。2010年、読売新聞はサッカー以外の話題でコートジボワールに関する記事をひとつも掲載していない。平和に向かっているこの国に少し注目してもよいのではないだろうか。アフリカも世界の一部だ。

以下の文書のような形で、読売新聞にこの状況を伝え、報道を求めよう。

このリンクから直接投稿してください。

(もちろん、自分自身のメッセージを書いていただくのが望ましいのだが、以下の文書をコピーしてリンク先に張り付けるのも可能)。

「10月31日に西アフリカのコートジボワールで歴史的な選挙が行われ、その国の平和に大きく影響すると考えられています。しかし、読売新聞はコートジボワールをワールドカップに参加したサッカーチームとしてしか扱っていません。2010年、コートジボワール情勢に関する記事をひとつも掲載していません。平和に向かっているこの国に少し注目してもよいのではないでしょうか?アフリカも世界の一部です。」 

英語になりますが、以下のサイトを参照に:

 コートジボワールの選挙に関する記事

 コートジボワールの選挙の分析

 カカオと紛争に関するドキュメンタリー(映像)

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